以下は既に公開が終了しているヤマハの逆輸入モーターサイクルを取り扱っていた商社、(株)プレストコーポレーションホームページに掲載されていた「プレまぐ!エディターズコラム 往復1,330km! TMAX530で八戸に行ってみた(前・後編) (2012年7月13日、17日)」の中で、ヒイトカッターを使った祭りの山車を製作する現場に伺った部分を抜粋、一部加筆修正したものです。
プレまぐ!エディターズコラム 往復1,330km! TMAX530で八戸に行ってみた
前略
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もう1つの目的
雨の中のおかげで東京から八戸までたっぷり堪能したTMAX530のロング試乗のほかは、フォトジェニック撮影も試乗車キャラバン訪問も残念な結果となってしまったので、もう1つの目的「八戸三社大祭」の見学に賭けることにする。これも駄目だと本当に「八戸まで往復1,300kmを行って帰ってきました」で終わってしまうので結構必死だ。
最初にも書いたが「八戸三社大祭」は東北三大祭りとして有名な、宮城県の「仙台七夕祭り」秋田県の「秋田竿燈まつり」そして青森県の「ねぶた祭り」は大抵の人が聞いたことがあるであろう有名な祭りにも引けを取らない、県南最大の大きな祭りなのだ。
ねぶた(地域によっては"ねぷた")が内照式の巨大な張り子の人型や扇形の山車燈籠(とうろう)であるのに対して、八戸三社大祭では八戸市内の27の「山車組」により創意工夫をこらして毎年製作された、発泡スチロールを主材に用いた巨大な山車を曳くのである。そして山車の造形がスチロール製とは思えないほど細かく作り込まれているのだ。そして随分前からだが、ひょんなことからその製作のごく一部に関わることになったものの、一度も実物を見た事がなかったのでその製作現場が見てみたいのである。
そういう訳で現27の山車組の中でも最も古いという「鍛冶町附祭若者連」の製作現場にお邪魔してみることとした。
「鍛冶町附祭若者連」の山車製作小屋は…、いや到着してみるとそれは「小屋」という雰囲気ではなく、広々とした公園の中に建っている巨大な「格納庫」である。一般の観光客が安全に見学ができるように市で用意している施設らしく、中には3組の山車が並んでいたが、ガンダムでも入っているのか?と思うような大きさだ。
中にお邪魔して製作作業中の男性に取材をお願いすると快諾され、自ら案内までして頂いた。
初めて実物を見た山車は、これまでの写真等で見る機会はあったものの、遥かに巨大できらびやかなものだった。「これから細部の製作に入るところですし、中央の「せり上がり」もまだ無いから、まだまだ装飾はこれからなんだけどねぇ」とは説明して下さった久保さんの言。
基本構造は数年ごとに一新するが、今年の山車は去年の構造を引き継ぎつつ毎年新たな題材を選んで構想を練り、昔話の「桃太郎」の元となった伝説「吉備津彦命 温羅征伐(キビツヒコノミコト ウラセイバツ)」がテーマとか。
色々話を伺いたかったが日も暮れて撮影が厳しくなり、また製作責任者の下崎さんがご不在だったこともあり、明日改めて伺いますと伝えて次の山車組「朔日町附祭山車組」を探すことにする。
山車組は元々町内の消防団が母体となっていたので、町の名前が付いているところが多い。朔日町(ついたちまち)はメインストリートの国道340号線の南側、繁華街にほど近い静かな一角だった。
既に時刻は8時近く、TMAX530で町の周囲をぐるぐる巡ってみても明かりも灯った山車の製作小屋らしいものは何処にも見当たらない。
途中の鮮魚店で「たねいち」という酒屋で尋ねるよう教えて頂き、一回りしてそのお店に行ってみた。
中ではそろそろ店じまい、という感じでお店の方とお客さんが談笑していたが、突然現れた男の「山車の見学をさせて頂きたいのですが、何処に行けば良いでしょうか?」の質問に戸惑っている。考えてみれば当然だ、この天気にレインウェア姿でヘルメットを抱え、汗と汚れでテッカテカの顔の男が店にやって来るのだから。
「朔日町の山車は町内ではなく、別のところで製作をやっているんですよ。」「少し遠いし狭いのですぐにはちょっと…。」
突然はあまりに不躾過ぎたかと反省し出直そうと考えていると「ところでどちらから来られたんですか?」と問われる。ショップの試乗会の取材に東京からバイクで来たんです、と告げると「あっ、もしかしてビデカさんですか?」といきなり云われ仰天。なぜ八戸の酒屋さんとそのお客さんがウチの事を知っているのか??
答えはこのお二人も「朔日町山車組のメンバーでして」だったから。バイクで来たんですか?!この雨の中、8時間もかけて??とこれまた呆れられつつも歓待され、明日朝9時にこのお店の前で待ち合わせ、製作小屋にご案内して頂くこととなった。655kmを8時間、頑張って走って来た成果は、取りあえず得られそうだ。
山車の製作現場を見学(朔日町山車組編)
翌朝、チェックアウト手続きを済ませ待ち合わせ場所の「たねいち酒店」前にジャスト9時に到着。待っていてくれたのは昨日のお客、「朔日町山車組」代表の目時さん(下の写真右から2番目)。「バイクで行かれますか?では10分くらいですから、クルマの後ろをついて来て下さい」と先導して頂くことになる。
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中略
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出迎えてくれたのは、仕事をちょっと抜けてきた、と云う近藤さんと製作スタッフ。近藤さんとは以前にヒイトカッターのメンテナンス対応で何度かメールのやり取りがあったので、ご挨拶のあとさっそく製作途中の山車を見学させて頂いたが、細かいスチロールパーツの造り込みが凄いし、とにかく大きさに圧倒される。
近藤さんによれば、元々は竹を編んだものに和紙を貼って形を作る方式(ねぶたに近いのかも知れない)で、さほど大きなものではなかったが、発泡スチロールを使い始めたことから造形が急速に進化し、同時に山車の大型化が進んだらしい。
現在は一定の規制があって、高さ4mと幅が4m、長さが11mまでと決まっているそうだ。これは道路幅や電線による限界があるためだが、実は各山車とも「仕掛け」によって高さ、幅とも大きく展開するようになっている。ちょうど孔雀が羽を広げた時をイメージして貰うと分かりやすいだろうか。
聞けば朔日町山車組も「中央にフォークリフトの部品を使ったリフターが設置され、高さは最大で11mくらい、幅も8mくらいになるかな、この大きく変形するのが三社大祭の山車の特長ですね」と、とんでもなくダイナミックなことになっている。
ちなみにヒイトカッターが使われ始めたのは、元々郵便局の局内装飾用事業用品として採用されていたものを「これは山車の製作に使えるのでは!」とある山車組の製作スタッフが持ち込んだのが発端で、今では全27の山車組だけでなく秋田や岩手など周辺地域の祭りでも使われるようになっている。
例年、ぜひ祭りを観にいらっしゃい、と各山車組の方からお誘いを頂きながら行く機会を得られずにいたのだが、むしろ製作行程の見学が見られると云う意味では今回はぴったりのタイミングだった。
ところで大変興味深いことに八戸三社大祭は、町内や有志など八戸市民の手づくりの祭りなのである。
ねぶたもそうだが「プロ」の製作者がいる他所の祭りとはこの点が決定的に異なる。一時「はちのへ祭り」と名を変えて観光主体の祭りになりかけたこともあったが「本来の神社主体の祭りであることが忘れられ、観光目的のみの祭りになってしまう。」との声で名称が元にに戻されるなど、「観光資源」と称して興行的になっている祭りもある中で、地域に根ざしたスタンスを守り続ける、これは珍しいケースではないか。
目時さん、近藤さんをはじめまだ他にも興味深いお話をたくさん伺ったのだが、紹介しきれそうにないので残念だがここでは割愛させて頂き、次の「青山会山車組」へは近藤さんに案内して頂くこととなった。
フル操業の鉄工所にしか見えない「青山会山車組」
近藤さんに案内されて着いた製作小屋はテント張りではなく、工場の様な本気でハードな雰囲気。入口では凄い勢いでバチバチとアーク溶接をやっているし、何故鉄工所に山車が?と思うくらいだった。
紹介された若き製作責任者、吉田さんはまだ20代。「青山会は町内だけでなく誰でも自由に参加できるので、近所の子どもたちから県外から通って来るメンバーまで様々です」という。
昼間は大掛かりな作業を、夜は周囲の迷惑にならないよう、スチロールの加工など音の出ない作業と分けて行なっていて、「ちょっと遅れ気味なので、昨夜も深夜2時過ぎまでやってました。」と笑う。しまった、むしろ昨日は寝ないで見学に来るべきだったかも。
山車を見学させて頂くと、去年使った部品だと云うスチロールの造形物が周囲の壁に整然と吊り下げられている。今年のテーマに合わせアップデートして取り付けられるのを待っているのだ。すでに取り付けられたスチロール版の透かし彫りもこれまた細密だ。
「この製作小屋のすぐ先まで津波が来たんですよ。クルマは流されて行くし、すぐ先は水に浸かってここも危なかったんですがギリギリ難を逃れました。」気が引けてそれまで訊くことになかった去年の大震災についても、吉田さんから伺うことができた。馬淵川の土手のすぐそばにあるこの青山会山車組の製作小屋は、本当に危機一髪だったのだ。
ちなみに27ある山車組のうち1つだけ、「八戸市職員互助会山車組」の山車小屋が津波に襲われて、壊滅的被害を被ったのだが、メンバーの頑張りと26の他の山車組の協力により、去年の三社大祭にも欠けずに参加している。
今回、物見遊山で見に行くべきところではないな、と思ったこともあり「被災地」としての八戸は見ないつもりで沿岸部へは足を運ばなかったが、この祭りの準備の熱気を見る限り不屈の闘志で溢れているのは間違いなかろう。
戻った「鍛冶町山車組」で見たスゴ技
突然の訪問に驚きながらも歓待してくれた「青山会山車組」の皆さんにお礼を述べて後にし、昨日訪れた「鍛冶町山車組」に再び向かう。朝方残っていた雨はすでに止んで薄日が射し始めている。このまま天候が回復するなら午後のYSP八戸さんの試乗会も大丈夫そうだ。
「格納庫」に着いて中を覗くと、たくさんの人たちが山車の製作にかかっている。年配の男性から小学生の女の子まで、世代も広い…。
その中で昨日はご不在だった鍛冶町附祭若者連の山車製作責任者の下崎さんにお会いすることができた。改めてご挨拶して製作中の山車を見学させて頂く。
昨日も見ているのだが、改めてシャッターを開けてみせて頂いた山車正面は、「鬼」の顔面の造形が見事だ。大きさと立体感、そしてその表情。「これは…こっ怖えぇ〜!」と心の中で思ったほどの迫力である。
そして、これは前の2つの山車組でも感じたことだが、全体の造形のダイナミックさと他方細部の造り込みの細かさが絶妙だ。塗装も工夫が凝らされ、どう見ても発泡スチロールとは思えない。
だいたいこうした山車で発泡スチロールを使う例は聞いたことがないのだが。
「八戸では40年くらい前から発泡スチロールが使用され始めたのですが、ここ10年ほどで細部の加工にヒイトカッターを使う様になってから作業性は飛躍的にアップしましたし、仕上がりも格段に良くなりました。」
と下崎さん。確かに薄いスチロール板を透かした飾り金具や、龍の細かい鱗の表現は、全く想像しなかった使い方だ。
今年のテーマに向けこれから補修していく段階なので、傷ついたり加工途中の部分もたくさんあったが、敢えてそのまま写真を使わせて頂くことにも許可頂き、大感謝である。
そうこうするうちに「まかない飯ですけど、一緒に食べて行きませんか?」とお昼ご飯に呼ばれることとなった。
「いつもは我々(オジさんたち)が作るけど今日は婦人部のお手伝いがあるから美味しいですよ。」
「今日は山で採って来た山菜やキノコが入っているからね!」
「夜まで作業して、終わって皆ここで飲んだりね(笑)。」
頂いたご飯と汁は、厚かましくお代わりさせて頂いたくらい、ホント抜群に美味しかった!
隣のテーブル(作業台)には子どもたちが集まっている。なるほど、奥では子どもたちが細かい作業の手伝いをしていたんだ…。こうやって次の世代に引き継がれて行くのか…。
祭りが近づくと次第に追い込みがかかって大変なのだそうだが、皆何とも楽しそうで話を聞いているこちらまで嬉しくなってしまう。
この後もたくさんの話をして、八戸三社大祭についての取材は終了となった。「ぜひ本祭も見に来て下さい。」と云われたが、う〜ん往復1,300km…、大変だけどこれは完成した姿は見たいぞ…(悩)。
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